上方舞とは

上方舞は、京阪(京都、大坂) の花街のお座敷で育まれた古典芸能です。歌舞伎舞踊に代表される、大きな舞台で様々な小道具を用いて躍動的に踊る日本舞踊に対して、あまり小道具を使わずに屏風と燭台を置き扇子一本を用いてはんなりと優雅に舞うのが上方舞です。

 

主に地唄で舞うことから、一般的には「地唄舞」という呼び名で広く知られています。また元々は花街が盛んだった頃、主に茶屋の座敷にて客の前で芸妓や舞妓によって舞われていたことから「座敷舞」とも呼ばれています。

ですが、花街の衰退と共に、最近では劇場舞台や能舞台で舞われることが多くなってきています。

  

現在では、地唄の他に長唄、清元、一中節、常磐津、義太夫、大和楽といった様々な種類の楽曲でも舞われます。曲の中には能から題材をとったものも多く(高砂、鉄輪、葵の上、珠取海士、善知鳥など)、あらゆる感情を内に秘めて舞う繊細で洗練された上方舞の動きは、踊りと言うよりはむしろ能に近いと言えます。 

 

吉村流は、上方舞流のうちの一流派です(他は山村流、楳茂都流、井上流)。

初代の「山ノ内ふく」は江戸時代、御所で女官らに舞を指導していました。その後、三世家元までは大坂の花街で舞妓、芸妓に指導していましたが、花街の衰退にともない四世家元 吉村雄輝 (人間国宝) が東京に進出しました。

 

現在の六世家元は、吉村輝章です。